到来はあっという間にして、去り行くときには尾をひく。冬という季節は音もなく濃密な気配を孕んでいる。
じわりじわりと訪れる季節も、気がつけば終わってしまっているような季節も決して悪かろうものではあるまいが、己の唇から漏れる白い吐息を繰り返し見守ることは、なんといっても感慨深い。
「曽良くん……私の息も白いけど、君のもなかなか白いよ。ホラおおきく深呼吸すると、ふゥーッ……」
「さっさと手を動かす!」
「ウンヌゥ!」
枯れた落ち葉の山盛りとなる頃である。土の上に重なるそれらは、情緒豊かな光景なれどもいつかは片付けねばならない。芭蕉庵の周辺に積もる枯れ葉は、芭蕉とその弟子たる曽良が掃く。家主である芭蕉ひとりでは到底追いつかぬ仕事であるし、他のなにがしかが手伝いに来るというわけでもない。
竹箒を支える腕はたった二組、ふわりと上る白色の呼吸もまた二組。それ以上の人手を求めて、敢えて招くということもしないのであった。
芭蕉と曽良、ふたりの男が寒空の下、やや厚着にて掃き掃除をする。もとい、していた。
「だっ、だって寒いんだよっ! 指もかじかんできたし」
「もう少しです」
「むしろ、こんだけやったらもういいんじゃないの? 風でも吹けばまた積もるんだろうし……あーあ、どうせ積もるんだったら雪の方が好いのに」
ぶつくさと言いながらに、かき集めた葉の山を箒でつつく芭蕉である。家事を不得手とする男ではないものの、根本が勤勉さとは程遠い。延々と続く同じような作業に、童のごとく飽きかけている。
「雪なんか降ったら芭蕉さん、布団から出ることすら億劫がるでしょう」
「そんなことないよ! きちんと遊ぶわい!」
どちらの言い分も概ねに正しい。楽しいと思うことにばかり熱心であるのが芭蕉という人間である。
「だったら掃除も真面目にやればどうですか。僕がこうして手伝ってやっているというのに……」
「そこはまあ、感謝してるけどさァ」
「解っているのなら、気を利かせてお八つでも用意しておいてください」
「自分から言うな!」
鼻息も荒く言い返す。とはいえ曽良は、そんな芭蕉を構いもせずに箒を動かすばかりであった。
何にしろ、どんなに言葉をつむごうが散らかった庭は片付かない。まったく、だの寒い、だのと文句や弱音を零しながらに、芭蕉も枯れ葉との格闘を再開する。外気は冷たく、時折ふく風に伴われるぴう、と細い音色が、堪らなく寒いという感覚を助長した。
(ああ、もうぅ……曽良くんじゃないけど、菓子でも出してあっついお茶をいれたいとこだよ)
さっさと終えてしまうのがいい。そうすれば、曽良とて咎めはしないだろう。
(お八つ、たかられるかも知れないけど)
文句を言いつつ掃き掃除をするのが芭蕉であるなら、文句を言いつつ芭蕉庵でくつろぐのが曽良だ。菓子を出してやると、不味いと言いながらも場合によっては芭蕉の分まで食べてしまう。まんじゅうにも団子にも容赦はないが、特に気に入っているらしいのが羊羹だ。
(いつか饅頭みたいにデブればいいんだ。いや、あるいはもう既に筋肉デブ……)
内心にぐるぐると弟子への反撃を抱えながら、芭蕉はぼんやりと思案した。
まんじゅう。団子。羊羹。色とりどりの菓子を思い浮かべてみれば、凍える気持ちにも夢のような空腹が勝る。今日のお八つは何にしようか。台所にはどんなものがあっただろうか。
「……そうだ」
そこで芭蕉は、ひとつ間の抜けた声をあげた。
「なんですか、今度は」
「いや。もらい物があるんだよ、台所の隅っこに」
「話が見えませんね」
「曽良くん! これ終わったらお八つにしようっ」
先程まで続いていた覇気のない弱音はどこへやら、曽良に対してぱっと向けられた芭蕉の視線は、何やら期待に輝いている。
「言われなくとも、そのつもりですが……」
「言われなくとも!?」
続けて、驚愕した。しかしすぐさま立ち直り、そわそわと両手に握った竹箒を揺らす。
「とにかく、貰ったばっかりのさつま芋があるんだよ。焼いて食べたら美味しいんだってよ」
「芋を焼く? ……蒸し焼きですか?」
「そうそう! たしか、甘くてあったかいんだ」
聞き知った知識に過ぎなくはあったが、焼いたさつま芋はたいそう旨いということだ。焼き栗に似た味をしていて、甘みが際立ち、それでいて口当たりもやさしい。湯気がたつほど熱い内に食べれば、体中がほかほか暖まってくるらしい。
「せっかくだから、集めた枯れ葉で火を起こすのがいいかな」
たまに経済的なことを考える芭蕉である。指差した先には、ふたりで集めた落ち葉が山をつくっていた。
「うっほう、さすが松尾は合理的! じゃあ曽良くん、私イモ取ってくるから……」
言葉にしつつも、善は急げと踵を返す。
そんな芭蕉の首根っこを、曽良の指先がつかまえた。
「待て」
「ぐっほう!」
勢いで喉元が絶妙に締まる。
「ぐえ、うくっ……なにすんだ曽良くん……」
「あと一割もありません。枯れ葉をすべて片付けてからにしましょう」
「い、いいじゃないか。後でも先でも」
「サボるな!」
「バレたッ!」
続く一撃は、ゆるく曲がった鎖骨へときれいに入った。
とにもかくにも掃除は終い、曽良が箒を片付け、芭蕉が芋を抱えてきて、ようやく仕事の後の楽しみがはじまる。
芭蕉が又聞きをした知識を頼りに、斜め切りして素焼きの皿へと並べる。生焼けでは良くないし焼きすぎてしまっても困るので、慎重に確かめながらもゆっくりと火を通していった。そうでなくとも、ひと息に焼くよりかじっくりと焼いた方がより美味であるのだと言われている。
焼き加減を確かめるためには串を使った。つついてみては、そろそろいいのではないか、いやまだ早いと議論を交わす。おかげで芋の輪切りはやや不格好な様態となったが、焚き火の横にしゃがみ込むふたりの姿も結構なものではあった。
いい歳をした大の男がふたりして、ああでもないこうでもないと意見をぶつけ合っている。これが句作のどうこうであるならば決して不可思議なことでもないのだが、たったいま彼らが問題にしているのはさつま芋のでき具合なのだ。
とはいえ、芭蕉と曽良に関していえば、些細な事柄で何ごとかを話し合うというのも決して珍しい在り方ではなかった。それこそ菓子を取り合うようなこともあれば、互いの台所の道具の配置に文句をつけ合うこともある。入り込んできて笑い飛ばすものの無い、日常に過ぎない。
庵に積もった枯れ葉を片付けるために、芭蕉は誰のことも招かなかった。ただ、自然と曽良の手を借り、自然と曽良に甘えて、自然と甘え返される。穏やかなる日々のうちには、改めてすれば気恥ずかしいような出来事も多々あるものだ。
枯れ葉を燃料として焚いたささやかな火の気配が消えかかる頃には、さつま芋にもすっかり火が通っていた。素焼きの皿を開いてみれば、中には鮮やかなきつね色が並ぶ。
「……焼けていますね。今度こそちょうどいいと思います」
「マジで? クシかしてっ」
「いや」
「なんで口調がかわいいの!?」
細い串はいずれの塊へも、すんなりと押し入ってふわりと受け止められた。やわらかく、軽く、焦げもなく出来上がっている証だった。
「もう、火を消してしまってもいいでしょう」
「私がまだ確認してないだろ! 串かせーッささせろーッ」
「生焼けを食べたがっていた芭蕉さんの感覚はあてになりません」
待っているうちに散々『もういいから食べよう』と繰り返していたのは、確かに他ならぬ芭蕉である。だからといって省み控える様子は、欠片もない。
「ま、いいや。曽良くん食べよう、さっさと食べちゃおうっ」
「そればかりですね」
火から離して暫く経った皿の中、ななめ輪切りのさつま芋たちはほかほかと湯気の高さを競っていた。そこへ芭蕉が手をのばす。そうして曽良が制するよりも先に、ひとつ摘んでひょいと取り出してしまう。
そこから、一秒と待たずに。
「あっつうゥー!!」
おおむね無理もない事態へ至った。