「あ……あいつつつつう」
「何をやってるんですか」

 幸いにして湯気たつ芋は皿の底へと帰っていったが、芭蕉の方はというとあまり幸いではない。
「まったくだよ! なんでこう容赦がないんだ、焼く前はあんなにしっとりして大人しかったくせにィ……」
「芋のせいにしないでください」
 そして、無事でもなかった。熱に赤く染まってしまった人差し指と中指を、ふうふうと吐息で冷ます。
「ふぅ……曽良くんも気をつけるんだよ」
「ええ。芭蕉さんのようなへまはしません」
「一言おおいなコラっ……ふー。湯気もすっごいし、早く冷めろよもう……ふぅ。さっさと食べたい、ふー」
 軽い火傷の表面へ息を吹きかけつつ喋るため、相変わらずに根拠のないその勢いも途切れ途切れとなる様であった。
 その光景を、曽良の両瞳がじっと見つめる。程なくして彼の両手は、蒸し焼きにした芋の並ぶ素焼きの皿を、幾らかそっと遠ざけた。芭蕉の手には届かぬ位置まで。
 そうしてから、真っ直ぐに立ち上がって唇を開く。


「……芭蕉さん」
 視線はその名の持ち主のいる方へ向いていた。
「ふう、ふーっ…………んん?」
「手、貸してください」
「え? ……て?」
 腫れる指先を持ち上げたまま、芭蕉は間の抜けた表情を浮かべる。曽良の言うことを解せずにいるのだ。
「手です。いま、火傷した方の」
「あっ、ああ……いいけど、なんで? 薬でもあるの?」
 ようやく頷くと、また更に首を傾げる。問いかけながらも指先を腫らした右手を、自らの唇のすぐ傍から、曽良の目の前にまで持っていった。やや骨張った掌が空におどる。そこから伸びる指先が、向かい合うその視界のうちに真っ直ぐ捕われる。
 視界の中心を芭蕉にばかり定めた曽良は、自分に対して掲げられたままの彼の右手へと、左手で触れた。重ねるようにして、そっと触れた。かと思いきや、そこから急に力を込める。芭蕉の右手首を、ぎゅうと掴む。
「ひえっ」
 驚いた芭蕉がひっくり返った声色を響かせるのと、どちらが先であったか知れない。曽良は骨張った彼の指先、人差し指と中指の先端、そこに浮かんだ微かに腫れる火傷へと、唇をおとして合わせた。
 舌先を突き出し、ちろりと舐る。
「ひ!」
 染みて痛む、というよりかはむず痒さのようなものを感じて、芭蕉はまたも鳴かされた。

「な……なにすんだっ!」
「……食前にしておくべきかと」
 さすがに慌てて問うものの、曽良の答えには何かが足りていない。
「衛生的には間違ってないけど、そ、そういう問題じゃあなくてっ」
「では、こういうのがお好きかと思ったので……」
「君がじゃないの!?」
「図々しいことを」
「どっちがだよ!」
 その上、いちいち芭蕉の方へ責任を転嫁する。
 浅い患部をからかって口づけで撫ぜるなど、親子でもないというのに信じ難い行為だ。ましてや男と男である。お稚児さんにという歳頃でもない。とっくに逃げ出していたっておかしくはないのだ、と、芭蕉は己の唇を緩く噛み締めた。おかしくはない。

 彼が自分の情人であるという、この事実さえ存在しなければ。


(……だろうと、何だろうと。恥ずかしいもんは恥ずかしいって)
 するならすると言ってくれれば心の準備もできようものを。曽良の戯れは突飛に過ぎる。
「また君は、そんな風にしてふざけるんだから……」
「ふざけてはいません」
「……それに、染みるよ」
「後で薬も塗ってやります」
 芭蕉の右手首をがっしりと捕まえたまま、曽良の左腕はふたりの中間に固定されている。そこへ右腕の方もすう、と伸びてきて、腫れた二本の指先に触れる。
「い、いじんないでッ……」
「勝手に傷をつけないでください」
 訴えを聞き流し、曽良はもう一度その部分へと口づけた。順番に、軽く吸っては濡れた音をたてる。芭蕉の身体はその度に小さく跳ねた。
「……許した覚えもありませんよ」
 唇を離すと、その指を今度は己の頬へと導く。曽良の頬に芭蕉の指先が重なる。腫れた指では確かには解らなかったが、その皮膚は滑らかでひんやりとしていた。冷たさが患部の孕む熱に心地よい。
 世の中は億劫なほどの寒空であるのだ。しかし先程までにはそのことについて愚痴をこぼしていた芭蕉も、今ではすっかりと別の事柄で頭を満たしている。

「…………わたし、曽良くんに左右されちゃうのかよ」
「ええ」
 曽良からの返事にはよどみがない。
 芭蕉の痛覚は己によって左右されるべきであると、断言にも近しい物言いをする。
「然るべきです」
 そうして、もうひと度。うすい唇でもって吸い上げる。
「う! ぅ、ひいッ……」
 感じやすい場所を摘まれれば、疼き痛んでいやでも声が漏れ出していく。
 その声が曽良には届いていないのか、届いていたとしても大したことだとは思われていないのか、或いはまさか望ましいとでも判断されているのか。芭蕉には解らない。考えるための余地もない。
 せっかく二人で議論を重ねて完成させた湯気のたつきつね色は、芭蕉の指先を腫らして以来、遠ざけられて延々と放置されたままである。
「さ……冷めちゃうよ、曽良くん。冷めるから、は、早く離せって」
「まだ冷めません。蓋はしておきましたから」
 曖昧な因果関係を切り捨てて、曽良は行為へと熱中する。気恥ずかしさを感じる芭蕉は、それに抵抗する。安定のない駆け引きではあった。曽良の方には芭蕉によって制されようという気が無いのだし、芭蕉の方も本当の意味では抵抗などしていない。

 曽良の唇は、やがて芭蕉のそれへとも至った。引き寄せて口吸いを施す。割り入れた舌を逃れる芭蕉の舌に重ねて、そこから揉むように掻き回す。そこにおいても、やはり正しい意味での抵抗はなかった。ただ時折に漏れ出る空気と、音を起てるところの唾液とがふたりを繋いでいる。
「ン、ぷっ……はッ」
 主導権を握られている方の芭蕉は、ろくに呼吸も紡げない。ようやく唇が離れても、曽良ばかりが容易くその吐息を整える。
「はァ、は、はッ」
「苦しそう、ですね」
 それがいったい誰のためなのかといえば、他ならぬ曽良の仕業である。そんな言葉も形にはならない。喘ぐばかりの芭蕉を前に、曽良の言葉に愉悦が混じる。
「なんにしろ……同じ味のする口吸いだなんて、つまらないものだと思いませんか」
 その感情を拾い上げ、芭蕉は情けのない姿のまま、濡らされた唇にて小さく呟いた。
(曽良くんが、焼いたお芋に、焼きもちやいた……)
 蒸し焼きにされた甘いさつま芋の風味など欠片もない、口吸いにはふたり分の味が混ざるほかない。
「何か言いましたか」
「な、んも」
 言っていない、ことにでもしておかなければ、本当にお八つを食べそびれてしまうかも知れなかった。評価もくそも無いものだ。
(に、しても……口の中が、なんだか甘いな)
 甘いものなど未だ何ひとつ、食べることのできていないはずであるというのに。想えばなぜか、忘れかけていた指先の疼痛が蘇る。
 芭蕉は曽良に抱き支えられながら、解放されたままの右手を再びゆるゆると掲げた。人差し指と中指の火傷、傷とはいえども疼く程度のその患部へと、今度は自ら口づける。
 曽良によって吸われたばかりの唇が、曽良の舌先に撫ぜられていた部分を確かめる様にして舐り直す。

 その行為は決して深い意味を成すわけではない、強いて言うなれば動物としての本能に近しいものであったのだが、目前の曽良本人を一瞬だけでも惚けたような沈黙に陥れた。


「芭蕉さん」
「……ん、ンぅ?」

「芋はもう、冷めてからでもいいですね」
「へ? いや、寒いし、私べつに猫舌じゃないし……そのまんま、ぁ、ンンッ」
 指先を、撫でたばかりの唇に、再び吸い付かれる。
 飽き足らぬ水音、佇んだままに重なり合う影。足下に放置された皿と、焚き火の跡と並べて見比べれば、どこかこっけいであるようにも思われた。しかしここには嘲笑う者も、はたまた咎める者もない。

 それでも皿の内に並んでいるきつね色は、充分にあたたかく軽やかにも甘く、熱中しているふたりの終いを黙して待っているのだが。それも、もう暫しは、後の後のこれまた後の楽しみといった位置づけであろうか。





 燃えた枯れ葉のまとった熱と、甘い匂いに取り巻かれ、冷たいはずの寒空もどこかへ散っていってしまったかの様だ。そうして誰にも咎められることのない二人、ただふたりだけが、消えた炎の横に在ってじわじわと高まっていく。









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