事件あるところに名探偵の影あり。名探偵あるところに事件あり。
 それならばもう名探偵はどこへも行くな、と人は言う。
 しかし、名探偵にも悪気のあるわけではないのだ。

 そして。事件現場に居合わせるばかりが探偵、というわけでもない。
 例えるならばこの探偵は、事後に現場へと出発した。そしてようやく到着した。


 人あるところに事件あり。事件あるところに、名探偵の影あり。
 事件とあらばこの男、松尾芭蕉の出番である。






 第一章 〜 事件発生だ! 松尾芭蕉! 〜



「やあやあ! 探偵の松尾でーっす」
「この事件は迷宮入りですね」
「まだ現場すら見てないのに!?」

 松尾芭蕉は探偵であった。松尾芭蕉が探偵であるならば、河合曽良はその助手であった。より正確に表現すると、辛辣な助手であった。
 探偵・松尾芭蕉と厳しい弟子、もとい厳しい助手によって『芭蕉探偵社』は成り立っている。権力の割合としては芭蕉が三、曽良が七、あるいは芭蕉が一の半分、受付グマのマーフィーくんが一の半分、残りの九が曽良といったところである。
 そのほか多数の職員が全国に散らばっているとも言われるが、詳細は不明である。


「これから華麗に解決するんだよ。曽良くん、資料をくれなさい」
「日本語がおかしいですね。被害者はベルという男性、第一発見者は彼の助手で、ワトソンという男性です」
「ほほう……第一発見者のアリバイは?」
「助手を疑っているんですか」
「だって、助手だろ? 肩書きが曽良くんとおんなじじゃあないか!」

 すると探偵芭蕉は、脳天の中心に強烈な手刀をくらった。


「……証言のメモがあります。見ますか?」
「…………あ、ああ……見せてくれた、まえ……ぐっふぅ」
 今にも被害者がひとり増えそうな空気の中、厳しい助手から探偵へと、書類の束が手渡される。
「…………って……ぜぇんぶ英語じゃないか!」
「英語ですけど」
「なんでやねん!」
 探偵の回復力は驚異的なものであったが、英語は読めなかった。
「仕方がないでしょう。ここはアメリカなんですから」
「え、そうなの?」
「しっかりしてください。もうボケたんですか」
「モニカいる?」
「しっかりしてください。芭蕉さんにスナフキンは気取れませんよ」
 スナフキンといえばハーモニカであり、事件との関わりは特になかった。

「うう……じゃあ曽良くん、君が読んでよ。コレ」
「やはりこの事件は迷宮入りですね」
「いいだろ、別に! 勉強はできない探偵とか、むしろお約束だろ!」
「……まあ、いいでしょう」
 曽良はゆっくりと溜め息をひとつ、芭蕉の手から書類の束を取り返す。


「いいですか、芭蕉さん。ワトソンさんは事件発生の直前まで、現場の外……部屋の外ですね。通路にいたそうです」
「通路、通路ねぇ……ひとりで?」
「いいえ。男子学生、二名と会話していたとのことです」
「え、その二名って? 共犯?」
「気が早い!」
「もふすゥ!!」

 芭蕉に再び曽良がめり込んだ。省略せずに表現すると、手刀が旋毛のあたりに入った。美しく洗練され、かつ力強くもある素晴らしいフォームであったが、この場には芭蕉と曽良の二名のみしかいなかったため全米は感動していない。

「黙って先を聞いてください。この男子学生というのは日本からの留学生なんだそうで、名前は金子さんと伊沢さんです」
「いってててて……じゃなくて……いるじゃんよ! 日本人、日本語つかえる人ッ!」
「しかし、第一発見者ではありません。そこはあくまでも助手のワトソンさんですから」
「まったくもう……でも、そうすると。それこそ共犯でもない限りは、関係者全員にアリバイがあるんだな」
「その通りです。明日は雨かもしれませんね」

「君はどんだけ私のことを信用してないんだよ! ええいもういい、現場検証いってみよ!」


 こうして信用されていない探偵と信用していない助手は、いよいよ事件現場へと出発したのであった。






 第二章 〜 現場検証だ! 松尾芭蕉! 〜



「あなたが、あの有名なバショー・マツオ探偵ですね。よろしくお願いします」
「やあやあ。よろしく」


 助手に小突かれながら現場へと到着した探偵芭蕉は、さっそく担当の刑事と挨拶を交わす。出迎えたのは好青年風の若手刑事だ。
「よろしくお願いします、刑事さん。なお、この人は邪魔になりますので、その辺りの直角にでも押し込んで正座させておきます」
「だから私が探偵だってば!」
「な、なんだこの……探偵と助手」
 その謎は彼にとって、あるいは事件そのものよりも深刻な問題ですらあるのだった。それはともかく。

「それはともかく、僕は刑事のヘンリー・ヒュースケンです」
 若手の刑事は、律儀にも自己紹介を優先した。
「ヘンリーさんね。っていうか見ろよ曽良くん、ヘンリーさんも日本語ペラペラじゃないか!」
「そうですね」
「さ、さっそく名前で……! まあそれもともかく、この事件の責任者をご紹介しますね」
 切り替えの早いヒュースケン刑事は、今にも口論を始めてしまいそうな曽良と芭蕉に、自分の背後を指し示す。
「ここにいる…………あれ、いない? え? あっ…… ハ、ハリスさーん!!」
 そして、視線を天井へ上げると、それはもう目玉の飛び出す勢いで叫んだ。


「なぜ、通気口から下半身のみはみ出しているんですかッ!」
「あ、ほんとだ」
「ほんとですね」


 通気口、半ば見えたる下半身。そこには確かに人がいた。

「ここに犯人がいるかなーと思って……」
「いませんよ、そんなところに!」
 そして、この現状もまた事件であると言える。
「その通気口、大人は通るの無理ですねーってさっきも話したじゃないですか!」
「無茶をあえて通す。それがハリスリズムだ」
「通せてません!」
「あー、しかしだな、今そこに来ているお二人はこれで……確実に私のことを覚えてくれただろーが! 探偵さーん助手さーん、私がハリス、現場が一番! 現役刑事のハリスでーす!」
 もうひとりの刑事、ハリスは無茶な主張をした。

「いいから早く出てきてくださいよー!」
「それが抜けんのだよ、ヒュースケンくん」
「マジですか!」
 ヒュースケンはやけにローカルな日本語を使ってくる。


 その一方で、探偵と助手にはやることがなかった。
「やはりこの事件、迷宮入りの気配が漂いますね」
「う、うん……まあ……わ、私が解決したるわーい! どんとこーい!!」
「そうですか。では、僕たちで現場を検証しましょう」
「え? 勝手にやっちゃうの?」
「あれは当分抜けないでしょう」
「そ、そんな感じするけど……」
 こうして二人は、刑事の許可を得ていなくても得たことにして、事件現場を見て回ることにするのだった。





「ひっ……ひひぃん! 曽良くんここっ、なんかここに血文字っぽいのがあるよッ」
 テーブルの上を指差し、さっそく悲鳴をあげる芭蕉である。
「ダイニング……いや、ダイイングメッセージだっ!」
 場所のことを考えれば、ある種のダイニングメッセージであるとも言える。たいして役にはたたないジョークだ。
「英語のようですね」
「よ、読んで、曽良くんっ読んで……私、私はもうダメだ……」
「どこかの陰陽師のようなことを言わないでください。断罪チョップをおみまいしますよ」
 芭蕉は弱音を吐き、曽良はよく解らないことを口走った。
「いいからぁ、読んでくれようぅッ」
「仕方がないですね……」
 ちらりとテーブルに目をやってから、曽良は怯える芭蕉の方へと向き直る。

「いいですか、芭蕉さん。ここには『お前はダメだ……ダメだ、松尾。お前はな、芭蕉……ダメだ』と書いてあります」


「長ァー!! 絶対ウソだろ!」
「なぜ、ウソだと思うんですか」
「被害者のベルさん、私になんの恨みがあるんだよ!」
「!」
 すると、緊迫した空気がふたりを包んだ。

「そうか……芭蕉さん。まさか、あなたが……」
「会ったこともないよコノヤロー!!」
 芭蕉が絶叫する。先程までの恐怖も吹っ飛んでしまったかの様だった。


「ふう、まったく…………あ。そういえば被害者って、どんな状態で見つかったの?」
「腰がねじくれていたそうですよ」
「げげっ。聞かなきゃよかった」
 当然のことながら、被害者の姿はここにはない。
「あ、そ、そうだ。曽良くん、血文字は? 結局どうだったんだよ」
「ええ。テーブルをもう一度、よく見てください」
「え。ええー……見なきゃダメなの、それ……」
「どうやら血ではないようです」
「だって怖いし、どうしても怖いしっ…………へ??」
「何かのソースです」
 芭蕉は震えるのをやめると、曽良の隣まで歩いていって問題のテーブルを覗き込む。

「ほ、ほんと……だ。ベタベタしとる」
「芭蕉さん」
「曽良くん!」
「見間違えですよ!」


 芭蕉の脳天へ、本日もう幾度目かになるチョップがおみまいされた。


「ほんぐッ!! 君も間違えたくせにぃ……!」
「聞き間違えです」
 しかし英語のようだと言葉にしたのは間違いなく曽良であったのだが、彼はそのようなことを気にかける様子もなく、しれっとした顔でその腕を戻していく。






 第三章 〜 真相推理だ! 松尾芭蕉! 〜



 ダイイングメッセージが単なる汚れであり、つまるところはダイイングメッセージではなかったという事実によって、恐怖を乗り越えることに成功した芭蕉。しかしそれでも事件現場は恐ろしかった。


「怖いけど、気を取り直して……さーて推理だ!」
 名探偵の名にかけて、怯えてばかりもいられない。気合いを入れ直す芭蕉である。
「もう帰りましょう」
 そんな時に限って、曽良がまた何かを言い出すのであった。
「え、なんで?」
「これ以上、事件を迷宮へ押し込むのは……芭蕉さん……」
「まだ推理すら始めてないぞ、曽良くんッ!」
 ネガティブな発言に遠慮のない助手、河合曽良。その実に十割は芭蕉に関わるものであり、彼には芭蕉を弄ぶことに人生の楽しみを見出しているかのような節がある。正確に言えば節というよりも、ほぼ全体的にそういった雰囲気ですらある。
「私はこの事件を迷宮へ押し込んだりなんか、絶対しなっ……」
 とにかく芭蕉は必死の思いで反論を試みた。試みようとした。
 しかし。

「うーんうーん……抜けない……!」
「ヒュースケンくん、引いてダメなら押してみるというのはどうだッ」
「そうか、逆に『押し込む』んですね!」
「そうっ、逆にだ!」
「いや、余計に悪化していくような気も……しないでもないですけど……」
「ものは試しと言うだろう? 挑戦を恐れるな!」
「ハリスさんも頑張ってくださいよ! つっかえてるのはハリスさんなんですからーッ」

 芭蕉による解決宣言は、背後から聞こえてくる会話によって何となくかき消された。


「……とにかく推理だ! 私が推理すりゃ犯人なんてなー、すぐそこなんだぞーう!」
「そうですか」
 曽良の方には一切、やる気のあるらしき気配が無い。
「もうっ、『読者にはまだ伏せてるけど、こいつだ! っていうのが探偵には解ってまーす』みたいなコトを全体的ににおわせてる辺りだよ! におわせまくりっ!」
「と、いうことは。この辺りでお色気担当が攫われるか何かして、ピンチに陥りますね」
「……えぇ?」
「僕はやりたくありませんので、芭蕉さんがやってください」
 それどころか、更にとんでもないことを言い出すのであった。

「ええーっ!? 私がピンチに……なったら君、助けに来てくれるのかよ! 命を賭してでも! そこまでがお約束だよね!?」
「構いませんよ。じっくりと陰から覗かせてもらいます」
「構わないってそっちかよ! そんなお約束はあるけどないよッ」
 事件そのものより様式の方にこだわりがちな師弟である。
 そして、こうなると彼らの意識は更なる別の方向へとスライドしていくのであった。
「ところでこの部屋、なんだかエビチリの匂いがするよね。おいしそう」
「もう夕飯のことを考えているんですか。コテンパンにしますよ」
「フライパンで!? じゃない、そうじゃなくてホントにエビチリの…………あっ!」
 大声とともに急に背筋を伸ばすと、芭蕉は先程のテーブルの側へ駆け寄る。

「ここだ! 曽良くん、ここだよ!」
 彼の指先が指し示したものとは。
 まさしく、ダイイングメッセージ『もどき』であった。


「これ。エビチリのソースだったんだ」
「……テーブルの上ですからね。被害者がこぼしたのかも知れません」
「でもなんか、不自然に途切れてない?」
 こぼした、というにしては、半分だけが拭き取られたようなおかしなかたちをしている。サンダーおおむね半円形の汚れである。
「サンダーってなに?」
「さあ」
 二人はよく解らないことを口走った。
「とにかく、曽良くん。これはどうやら事件解決に繋がる、おおきなヒントだぞ」
「芭蕉さん……」
「曽良くん!」
 視線と視線が、ばっちりとぶつかり合う。

「芭蕉さんはエビチリをぶっかけられたいんですか」
「そっちかよ!」

 そして芭蕉は驚愕した。
「そんなん嫌だよッ、どんなシチュエーションなんだよ! ベッタベッタになるじゃないかぁ」
「別にベタではありませんけど」
 この助手には、事件を解決しようという気概がとにかく無い。それでいて頭の回転の速さは探偵・芭蕉の数十倍とも言われている。おそるべし、河合曾良。
「そりゃあ確かにベタではないけど、とにかくベタに、ベッタベタに…………」
 そこまで言葉を続けて。
 今度こそ芭蕉は、はっと目が覚めたかのように、もう一度テーブルを確認した。


「……そういうことか! 解ったぞ、曽良くんっ! 松尾解決!!」


「決めゼリフを作るな!!」
「とおるッ!」
 そしてすぐさま引っ叩かれる。
 パワー、バリエーションともに進化のとどまらぬ曽良の攻撃である。

「な……何故いつも、君は私を予告もなく引っ叩くんだ……」
「これもまた、お約束です、芭蕉さん」
「五・七・五!?」
 芭蕉はふいに懐かしさのようなものを感じた。
「時には衝突もしてこその探偵と助手。信頼も深まるというものでしょう」
「……時には?」
 思わず、首を傾げる。

「君の場合、それどころじゃあないだろ……」

 芭蕉の抱く疑問は至極もっともであった。ところが曽良は聞く耳をもたない。


 探偵と助手との間における問題がさっぱりと解決しないまま、事件は佳境を迎えるのであった。








第四章へつづく






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