第四章 〜 犯人確保だ! 松尾芭蕉! 〜
「ところで、ヒュースケンさん。ベルさんの容態はどうなんですか」
曽良は唐突に、刑事の方へと話を振った。
「あ。ああ、ベルさんなら、きちんと意識はあるんだそうですよ」
「そうですか」
「ものすごく落ち込んでるっていう話でもありますけど……助手のワトソンさんがおっしゃるには、元々こうなので気にしないでくださいと」
「へぁ?」
探偵・芭蕉を置き去りにして話は進んでいく。
「え、ちょっ……ちょっと待って曽良くん。ベルさんってあの、被害者の?」
「ええ。……きちんと覚えていたんですね」
感心した様子で首を縦に振ってくる助手へ、芭蕉の方は唖然として続けた。
「待った、待ってよ! つまり生きてるの? ベルさん」
「腰をいためて病院へ運ばれたんです。聞いてなかったんですか」
「言ってないよ!」
「ああ。言ってなかったっけか? ヒュースケンくん」
芭蕉と曽良から少しばかり離れた場所にて、知らない男も首を傾げる。
「そうでしたね。すみません、バショーさん」
彼の隣にはヒュースケンの姿があった。
するとどうやらこの男、責任者のハリス刑事であるらしい。確かに洋服の上半身がホコリで白くよごれている。
「や、やっと抜けたのか……!」
「そんなことより、芭蕉さん。死人が出ていなくとも事件は事件です」
「うん、そりゃ良かったんだけどさ、被害者が生きてて……もとい! そうだよ、事件は事件だ!」
芭蕉は立ち直り、再び決意の炎を燃やした。
「そしてとにかく解ったんだよ! 事件の真相! 松尾解決ッ!!」
「決めゼリフを作るな!」
「まりッ! 二度目!!」
燃やしたというのに、床へ這いつくばる羽目になったのであった。
そのとき、閉じられていた部屋のドアが大きな音をたてて開いた。
「真相が解ったというのは本当ですかっ!」
新たな影が、そして声が割るようにして入ってくる。
「あっ……あなたは?」
「ワトソンさんです。第一発見者の」
床からずりずりと起き上がりつつ、芭蕉が問いかけた。当人に先んじてヒュースケンが答える。
「そうか、君が……! これはいよいよ全員集合っていう感じだな。被害者いないけど」
「ところで、ワトソンさんはこれまでどちらに?」
「病院です。ベルさんの付き添いで」
芭蕉の台詞は軽く流した曽良が続けると、今度は当人から言葉が返った。
「それでたった今、戻ってきたんですが……」
ワトソンの視線は、立ち上がった芭蕉のいる方へと向く。
「そ、そうだよ! 真相が解ったんだ、ワトソンさん!」
「期待しないでください、ワトソンさん」
「この助手は曽良くんといって、呼吸をするように私にだけ辛辣なので信用しないでください! ワトソンさん!」
「はっ……はあ」
探偵と助手が競うようにして主張を放ってくるもので、ワトソンは若干後ずさった。
「楽しそうだから私たちも混ざるか、ヒュースケンくん」
「ハリスさんは通気口の向こう側しか見てなかったじゃないですか」
その上に刑事たちまでもが首を突っ込もうとしている。
「えーいチクショー、どいつもこいつも……もういいよ! いいかッ諸君、これが真相だ!!」
芭蕉は強引に、叫ぶようにして『真実の解明』シーンに突入した。
「いいか、そのテーブルの上にはこぼれたエビチリがある! まだ匂いが解るっていうことは新しいものなんだ! そうだろ? で、その汚れが円形を半分に拭き取ったような、不自然なかたちで途切れている……つまりは、そこに何かが乗っかっていた可能性がある! 他には思いつかないから、なんとなくそれしかない! ワトソンさん、そのテーブルから何かどかしましたかッ!」
「え? いっ、いいえ……何も乗ってなかった、と思いますけど」
「な……なるほど…………あー疲れた」
「話の腰を折らないでください」
「そ、そうっ! それなんだよ、腰だったんだ!」
「腰?」
「そうだよ曽良くん、テーブルの上に乗っかっていたのは被害者の腰だったんだ! いや、別に腰じゃなくてもいいんだけど」
「腰もとい尻を打ちますよ」
「ぶ、打たんといてっ……大切なのは、そこに乗っかってたのが被害者の体だっていう事実なんだよぅ。誰かがどかしたんじゃなくて、自分で勝手にどいたんだよぅ」
「ベ、ベルさんは何故そんなことを……!? 確かにエビチリは好物でしたけど、っていうか今日のお昼にもそこで食べてましたけどっ」
「それだー!!」
「へっ?」
「そのときにエビチリがこぼれたんだ! で、ベルさんはその上に座ってしまった! だから服が汚れたッ!」
「……で?」
「な、なんか助手との温度差がひっどい……えーと、服が汚れた! って思ったら、放っておかないで拭こうとするだろ? でも、それが腰とか尻とかだったら結構ムリな体勢になるよね」
「芭蕉さんで試してみますか」
「試さんよっ! だってそのせいで悲劇が起こったはずなんだよ」
「どんな悲劇ですか」
「ベルさん、きっと洋服についたエビチリをムリな姿勢で拭こうとしたんだよ! そのおかげで腰をいためてしまったんだっ! ……松尾、解決!!」
一同の間に沈黙が流れた。
「ベ……ベルさん。服を脱いでから拭き取るか、僕のことを呼んでくれればよかったのにっ……」
ワトソンががっくりと膝をつく。
「そ、それにしてもバショーさん、よく解りましたよね? ねえ、ハリスさん」
「ヒュースケンくん。通気口のフタ、後でもいいから直しといてくれないか?」
まさかそんな、という空気を散らすべくヒュースケンが発言したものの、話を振られた方のハリスは天井の通気口しか見ていない。
「聞いてくださいよハリスさん!」
つい先程、半壊にまで至ってしまったものである。
「そうですね……なぜ、解ったんですか。芭蕉さん」
被害者の助手であるワトソンが「ありえない」というよりかも「やっちまったな」といった雰囲気のリアクションへ沈んでいるので、曽良は芭蕉の推理を信じてやることにしたのだった。
「え〜? そりゃーもちろん名探偵だからぁ……」
「真面目に答えろ!」
「かやまッ!」
しかし芭蕉がへらへらとしているもので、罪を断つ。この繰り返しは彼らのライフワークにも近しかった。
「わっ、わかったよ言うよっ……実は私も最近、あんこで同じことやってさぁ。ぎっくり腰になっ」
「情けないっ!」
「みきもとォ!!」
よって、ではないが、芭蕉は尚もの一撃を喰らう。
「だ……だからなぜッ殴るのか……!」
「すみません、刑事さん。この男、ぎっくり腰どころか二度と足腰のたたないように、よく戒めておきますので……」
「何する気!? イヤだよもうっ、この助手ひどいと思いませんか! 刑事さーん!」
二人は同時に刑事たちのいる方向へと視線をやった。
「いいですかハリスさん。刑事がインパクトなんてもの目指したって、たいした得にはならないんです!」
「まあまあ。いいじゃないかヒュースケンくん」
「そもそもハリスさんは昇進の話を断ってまで現場にこだわり続けてますけど、だからといってそんなことじゃあインパクトにはならな……」
「なに言ってるんだ、ヒュースケンくん。現場を離れたら君と働けんじゃないか」
「……は、ハリスさん! なんてこと言うんですかっ! でも……ちょっと感動しちゃいました……」
「そうだろそうだろ」
が、しかし返答は無かった。
「聞こえていないようですね」
「あいででででッ」
曽良は芭蕉の腰のあたりを摘まみ上げている。
「いっつ、いったい、痛いんだってば曽良くーん! ワ、ワトソンさん助けてぇ……!」
「そんなことなら話してくれればよかったのに……ベルさん、病室にキノコとか生やしてなきゃいいけど……」
が、しかし返答は無かった。
「聞こえていないようですね」
「なんやねんチクショー! ……そ、そ、曽良くんッ、頼むから抓るのやめてっ……松尾の腰がこわれちゃううぅ」
が、しかし、返答は無かった。
第五章 〜 明日へ向かって! 松尾芭蕉! 〜
散々につままれ、つねられ、ひねられた後、芭蕉はようやく解放された。
「し……死ぬかと思った」
「死にませんよ」
「死んでたまるか!」
危うくもうひとつ事件が増えるところであった、と芭蕉は考えている。
「今日も華麗に事件を解決! したっていうのに……」
「あまり華麗ではありませんでしたね。歳をとることを加齢と言いますが」
「……だからなんだってんだよォー! 松尾はまだまだ若いよッ!」
「芭蕉さんには何も期待していません」
ふたりの喧嘩は若々しい、というよりも子供のそれの様だ。
「これからは僕が探偵をやりましょう」
「弟子、いや助手がまさかの乗っ取り宣言!?」
「芭蕉さんは毎回やたらとかどわかされて、やたらと何かされる役です」
「何かって、な……ナニ?」
「何をされたいんですか」
「何もされたくないよー!!」
「ハリスさん、通気口のフタがありません!」
「マジで? どっかその辺のカベに刺さってないか」
「なぜ、カベに……」
「あの、こっちの方はもういいですよね……僕、もう一度病院へ行ってきますね! ではッ」
こうして現場は、次々と噛みあわなくなっていく。
「ちょっと聞いてー、誰か聞いてくれよぅ! 弟子が怖いんだ! ヘルプミーッ!!」
「英語を使うな!!」
「かまいッ!」
何はともあれ。
探偵芭蕉の到着より数刻、なんとはなしに、事件は解決へと至ったのであった。
人あるところに事件あり。事件あるところに、名探偵の影あり。
事件とあらばこの男、松尾芭蕉は愛助手の曽良を伴い、今日も謎解く道を行く。