やや粘ついた感触が、喉の入り口につっかえている。痛みとも痒みともつかない感覚が全身を襲う。
 芭蕉はがたがたと肩を震わせながら、小さく首を振った。両のまなじりは薄らと涙に濡れている。


 入らない。こんなもの、入らない。
 こんなにも無理をさせられたら、きっとからだが破けてしまう。
 やめて、いやだ。許して、はなして。
 助けて。
 曽良くん。


「……体を動かさない!」
 曽良の平手が、芭蕉の脇腹を軽く打って叱る。
「口を離すのもいけません。良縁を切らぬために、というでしょう」
 淡々とした声色だった。芭蕉はそちらへと視線のみをやって、無言のうちに抗議をあらわす。

 そこに言葉の伴われぬことは、仕方がなかった。何故ならば、芭蕉の口腔は今まさに『太いもの』によって埋められているのである。
 弾力があり喉奥を塞ぐ。白く粘ついて粘膜にからむ。

「芭蕉さん。きちんと『作法』を守ってくださいね」
「ん、む」
「うるさく言うから、わざわざ買ってきてやったんですよ。その……恵方巻き」
「ンーっ……」


 うめく湿った唇に、しなりと馴染む海苔がこすれた。





 そうこうとしながらも、ようやく端から端までを呑み込みきるに至った芭蕉である。
 台の上から湯のみを取って、やや冷めはじめた中身を飲み干す。これでどうにか人心地がついた。

「……なぁんで、師匠が弟子からお作法なんて習わなきゃいけないんだよぅ」
「芭蕉さんがそんなことすらも満足にできないからです」
「知ってたよ、このぐらい!」
 からになった湯のみをだぁん、と置き戻して、芭蕉は喚く。
「だいたい、どうして別々に食べる必要があるんだよ! 君も一緒に食べてればよかったんじゃないか」
「僕が見ていないと、おかしな食べ方をして何もかも台無しにするおそれがあるので……」
「どうしてそう過保護になるんだよ! 君は私のお母さんかっつーの!」
「子供?」
 すると曽良はフン、と微かに莫迦にしたような表情を浮かべた。おっさんが何事を、とでも言いたげである。
「こんにゃろ! だいたい曽良くん、君って奴ぁ」
「次は僕の番ですね。いただきます」
「聞けよ!」
 続く憤りを、相手にする様子もない。

 芭蕉は深く溜め息をついた。
 確かに太巻きを食べたいと言い出したのは自分だが、曽良に買いに行かせたのも自分ではあるが、だからといってこうも無下に扱われるのでは叶わない。恵方巻きのお作法ぐらい、彼に習わなくとも解っている。
 それなのに、彼がばしばしと叩いてくるものだから、余計に上手く呑み込めないうえに餌を与えられているような気分だった。
(まったく。曽良くんは、私のことを見下してばっかりで)
 言いざまにすら遠慮がない。

(偉っそうに口出してぇ、そんじゃ自分は上手にできるのかーって話だよ。この外道巻き! 海苔巻き食べすぎて体重倍増しろ!)
 一方の芭蕉は、胸中にてひたすらに毒づいているわけであった。
 こうした辺りに彼ら師弟のどうにもならぬ上下関係が伺える。


「……へへーんだ! 曽良くんがなんも間違わないかどうか、私がきっちーんと見ててあげるよーっ」
「そうですね。しっかりと見ていてください」
(……と、とにかく)
 自分を叩いた掌で太い海苔巻きを掴む曽良に、芭蕉は異なる淡い期待をよせた。

(咽せろ! 曽良くん、むせてしまえ!)






 しかれども、そうそう上手くいくようなものではない。
 つまるところ期待は裏切られた。曽良は聞き知った作法にのっとり、つつがなく食事を終えてみせたのである。
 机の上に二本分ならんでいた太巻きも、今はもう包みの葉を残すばかりとなっていた。


「…………」
 芭蕉は黙して、自分の湯のみから茶をすする曽良のことを見守っている。
 なんだつまらない、と言ってやりたかった。咽せてしまえばよかったのに、とも言ってやりたかった。
 言えばおそらく曽良は腹を立てるのであろうが、『こうなってしまえば』そちらの方が余程にましだ。

(……なんで、そんなに)
 芭蕉の掌が、無意識に着物の胸のあたりを掴む。
(そんな風にして……食べるんだよぉ……!)


 曽良の食事は、ひどく丁寧であった。
 太巻きの端を薄い唇と濡れた舌とに挟み、もう片方の端は白い手の甲を晒しながら支えて、ねぶり上げるように呑み込んでいく。切れ長の瞳はゆったりと瞬き続けていた。
 誘い込まれて吸い取られていくそれは、ごく身近にして在り来たりな食物に過ぎない。いくら記念の儀式とはいっても、そこまで特別な光景を生み出しているというわけでは、ない。
 はずであるのに。


「……なにか?」
 湯のみを机へと戻した曽良が、芭蕉の表情を見て、目を合わせ問うた。
「文句でもあるんですか」
「べ……別にっ」
 上擦った声色にて返事をする。不可思議な鼓動によって、もはや全身が染まりかけていた。
「そんな顔をして。何を考えていたんですか」 

(あ、ああ…………)
 知れているな、と芭蕉は悟る。
 都合の悪いときは何時でも『解らないふり』をするくせに、曽良というのは、本来ならばたいへんに聡い男だ。そして芭蕉は、心から隠しておきたいことに限って彼の目に見破られたる立場である。
 それだけならばよい。まだよいのだが、しかしながら曽良は、この上に。

「べ、つに。おかしなことなんてッ、考えてなっ……」
 そんな芭蕉の、震える頬へと。利き腕を伸ばして、先程まで太巻きを掴んでいた掌にて、触れてくるのである。


(面白がっているんだ。曽良くんは、私を)

 警戒を為しそびれてしまったようだった。彼はもう既に、芭蕉へと狙いを定めている。そうして手段をはかっているのだ。
 芭蕉は思わず両の瞼をかたく閉じようとする。
 しかし、ひととき遅かった。


「米粒が。ついたままです」
 捕われてしまう。曽良の唇から舌先があらわれたかと思うと、向かい合う芭蕉の唇をさらっていった。
 柔らかな場所を舐られる。
「んンッ」
 くぐもった小さな悲鳴は、当然ながらに芭蕉のものであった。
「あなたというひとは、これだから……子供あつかいされても仕方がない」
 言葉に伴い、曽良の舌先はゆっくりと離れていく。

「こ、ども、扱いなんて……い、嫌だよ。曽良くんだって、じゅうぶん子供っぽいじゃないか」
「そうですかね」
 彼の言葉のひとつひとつに、本能のままの微かな熱が孕まれている。
「それでは、子供は子供らしく……食事の後にはひと遊びしますか」
 芭蕉にはそれが解ってしまう。
「それとも、子供扱いは止しますか? 大人として扱ってやりましょうか」
「…………行き着く先はおんなじじゃないの」
 再びみせた舌先で自らの唇を嘗めるその姿は、とてもではないが、子供を愛でるためのものなどではない。
「期待、してたんですか?」
「してない、よ」
「そうですか、その割には……貪欲に見えますよ。芭蕉さん」
 こうなってしまえば、引き下がるはずの無いのも曽良という男だった。

(……でも、本当に。期待なんか)
 していないのに。そう考えて、考えかけて、芭蕉は思わず詰まってしまう。
(期待なんて、してるわけないだろ?)
 そうであっても『おかしな』発想をしてしまうのは、曽良のせいだ、曽良が悪いとただ胸中に繰り返す。

「曽良くんが……いやらしいから」
 曖昧な言葉が口をついて出た。
「いやらしいのは、どっちだか」
「曽良くんだろ」
 どちらにしても曽良のためだと、芭蕉はむくれて訴える。
「試してみましょうか」
 そのさまを、曽良は逃さなかった。


 言葉に集中していれば体の動きは疎かになる。暴れる隙も与えられはしなかった。あっという間に畳の上へと、芭蕉の背中が貼付けられる。
 曽良を上としてふたり重なり、芭蕉の方は、まさしく真上より押し倒されているかたちとなった。


「どちらが、いやらしいか」
「……比べるまでもないんじゃないかッ!?」
「どうでしょうね」
 そうしてすぐに、続く言葉が塞がれる。どちらとも。
 有無を言わさぬ勢いで、芭蕉の口は吸われたのであった。








 柔らかな場所へと唾液の絡まる、やや粘ついた響きが続く。口吸いの音とも似ていたが、それではない。
 もう既に、異なった行為によるものであった。
 温かな口腔がじゅる、と音をたてて、芭蕉のものを吸い上げる。
 
「ひ、いいぅッ」
 喉奥できゅうきゅうと締めつけられ、絞り出されるような高い声があがる。
 呑み込まれてしまう。このままでは曽良に呑み込まれてしまう、と、半ば怯えて芭蕉は喘いだ。
(死ぬ、死んじゃうっ……)
 抑えきれない感覚を、いっそ嘆きにも置き換える。
(こん、なの……反則だッ)
 何もかもが解らなくなりつつあった。むき出しにされた本能を丁寧に丁寧に抉じられるのだ。
 そのおかげで、滅茶苦茶なまでに。
(きもち、ぃ…………)
 曽良の粘膜はひたすらに芭蕉の芯をとろけさせていく。

「な、んでぇ……そんなん、するのッ」
 じゅう、と泡立った水音が返る。声では何ひとつ応えてもくれない。
 芭蕉の陰茎を根元まで咥えこんでしまった唇は、言葉の代わり、繰り返してそれを引き絞った。時折には先端が解放されるかと思えば、舌先をつかって押しなぶってくる。
「や、いやっ、やだ、ああぁッ……!」
 せめてもの否定は、悩ましげな吐息へと混じってかき消された。


 腰を中心に全身を硬直させ、畳の上に生肌を擦りつけて、緩やかに達する。
 放たれた汚濁はそのまま、曽良の喉奥へと流れ込んでいく。彼は黙したまま、すべてを飲み下した。



 その唇がぐい、と拭われるところを、芭蕉はぼんやりとして眺めた。
 曽良の方は、あまりにも平然とした表情を浮かべている。珍しいようなことではなかった。曽良という男が一方的に掻き乱すことを好むのだと、既にもうよく思い知らされてもいた。
「ねえ、どうして……なんも言って、くれなっ……」
 しかし言葉も切れ切れに、芭蕉は訴える。
「……それが作法だったでしょう?」
「ち、違う! それはそれじゃ、なッ」
「それにしても、何時もよりずっと早かったですね。物足りないぐらいに」
 しれっと物を言う曽良の整った呼吸がにくらしい。
「……悪かったな。早くて」
 不満をあらわにする芭蕉である。伴って歪められたその唇を、からかうかのごとく曽良の指先がなぞった。
 そこからすぐさま、口づけて塞ぐ。

「ん、ゥ」
 曽良の粘膜に残された雄のにおいが、芭蕉の舌の上にも渡った。
 それは、彼の。
(……じゃ、なくって。私の)
 それでも、曽良の内からきたる。想えば意識はだんだんと火照っていった。
(また……なんにも、解らなくなりそう)
 舌は芭蕉の口腔をあまさずに掻き回し、熱を与えて、それからゆっくりと離れていった。
「芭蕉さん、きちんと見ていてくれましたか。僕の『作法』が間違っていなかったか、どうか」
「だ、から……そうじゃないだろ、って言うのに。曽良くん、品がない」


 言葉もなしにあのようなことをされれば、不安になるのに決まっている。
(……そりゃあ、なにか言われれば言われたで)
 その整った唇と、滑らかに響く中にもじわりと熱をもつ声色に、翻弄されるばかりなのだが。

「そうですかね。もう一度、呑み込んで確かめてみましょうか」
「え、や、それは……」
「……好かったでしょう? 喉は」
 晒したままの陰茎を、中指の腹にて撫で上げられる。
「ひぁッ」
 芭蕉は悲鳴を跳ねさせた。
 そこは再び、頭をもたげ始めている。 
「好かったようですね。よほど」
「や、やめッ」
「また、食べたいでしょう」
「た、食べないっ……」

 食べているのは、曽良の方ではないのか。まったくおかしいと考えはするものの、巧みな指先にかき消されていく。

「……子供のようですね。食べ盛りの」
「こ、子供じゃ、な……い」
「ああ。そうでした」
 曽良の黒瞳が、ぎらりと瞬いた。
「こんなにいやらしい子供など、ありませんね」
 言い返してやる暇もなく、芭蕉の唇へは口吸いが降る。
 陰茎は指先に弄ばれ、腰が弾けてしまいそうなほどに震えた。畳の目に、あらわとなった臀部の擦れる生々しい感触。
「食事ひとつで、僕のことを興奮させるあなたが。子供であるわけもないか」
 獣にも似た熱の気配が、涼しげに整った顔立ちのうちに見え隠れをする。

 ああ彼は急いていたのだ、と、芭蕉は気付いた。元よりこうなると定まっていたのだ。
 押し込まれるように与えられたる、餌に空腹を満たされる。そうしてやがて終いには、こちらの方が喰らわれてしまう。


(食べて……それから、食べられて)
 なおも侵蝕してくるのだろう。
 奥の奥まで、押し込んで。


「芭蕉さん……食べるときには、口を離さない。声もあげない。そういう決まりでしたね」

 そんなのは無茶だ、と芭蕉は震えた。
(曽良くんのが、奥まできたら……そんな、の)
 まさか守れるはずもない。
(呑み込まれたって、おかしくなる)
 どちらにしても、壊れてしまう。

「ひ、ぃやだあ、曽良くッ……」
 辛うじてひねり出した抗議も、唇を濡らされ、また塞がれる。舌と舌とがもつれ合う。
 曽良の方にはもう、芭蕉の訴えを聞いてやろうというつもりなど微塵も残されてはいない様であった。
(だめ、だめだ……これじゃ、あ)
 芭蕉はせめても、緩やかに首を振った。横へと振った。
 かたちに過ぎぬ否定であった。
(私まで、欲しくなる……から……)

 勝負はとうについている。



 もつれ渦巻く共食いに、そこから始まるこのような行為。未だ太陽も沈んではいないが、終えばおそらく、眠りにつかざるを得ないのだろう。芭蕉の体力の保つはずがない。
 生きていくための欲求、すべてを、曽良の手によってねじ込まれてしまうのだ。

 呼吸も自由にならぬ身で。与えられれば、受け入れるほかがない。
 畳を汚してしまうんじゃあないかな、というやや逃避した思考とともに、まずは芭蕉が、下から曽良へと呑み込まれていく。






 欲求に、もはや作法の何もなし。互いに飢えてひとときを満たし合う、ふたりを沈めるばかりの行為である。
 そこに延々と舌を絡めているのであるから、彼らの縁の切れようはずもなかった。













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