河原などへ横になって昼寝をしていると、童心にかえった気持ちになる。
 数日に一度ぐらいはするのが好いものだ。

 などとわざわざ互いに口へ出すことはないものの、この師弟はよくそのようにして、短くやわらかな草の上を探し何をするでもなく寝転んでいる。
 そうしよう、とわざわざ誘い合うわけではない。なぜならば彼らは旅の道中、その生活は元よりともに在るというわけだ。
 見た目には親子というほど歳の離れている様にも感じられるが、そうして並んでのんびりと過ごしている姿は、旧くからの友人同士といった風でもある。


 さて、その片割れであるところの松尾芭蕉がふと目を覚ますと、どうしてだろうか右腕がぴくりとも動いてくれない。何らかの重みをずっしりと受け、強引に動かそうとすれば痛覚すら伴う。




 芭蕉は内心に悲鳴をあげた。正確には口からも小さく、ひいぃ、と漏れて出た。何せ怪談の類いにはめっぽう弱く、どちらかというと猥談にしか聞く耳をもちたくないという男である。

(ひええぇぇ……!)

 動かない腕を必死に引っぱる。ぐっと力を入れ、とにかく脱しようと試みる。
 暫くそうして頑張ってみると、やがてずるりと音をたて、右腕はようやく自由を取り戻した。
 ただし。
 芭蕉の右腕、そのものだけ、が。

 それは決して怪奇的なる出来事ではなかった。この夏最恐でもなかった。
 しかしながら、この夏最高の不可思議ではあった。
 着物の方を置いてきてしまったのだ。どこかに。袖の部分が引かれるように脱げ、芭蕉は右肩をむき出しにした状態にある。生肌に外気がそよそよと当たる。
 状況を把握しきれず、なんじゃこりゃあと慌てていると。横の方から小さな音が響いてきた。
 聞き慣れた舌打ちだった。


「何をしてくれるんですか……」
「君が何してるんだよ!」

 そこには弟子であり旅の同行者でもあるところの、曽良の姿が横たわっている。
 先程までには芭蕉もそうしていたように、草の上にべったりと背をつけ、寝転んだ状態である。そしてその身体の真下には、芭蕉の着物から繋がってちょうど右腕の部分が敷かれているのであった。
 失せものは見つかった。ついでに、右腕を着物ごと下敷きにするという暴挙の仕掛人も知れたのだった。
「芭蕉さんのせいですっかりと目が醒めました」
「っていうかなぜ、私の右腕を……君……」
 芭蕉が引き抜き、取り戻したのは腕のみである。着物の一部はなおも曽良の下へと埋もれている。そして芭蕉と纏われる着物との動きは連動しているわけで、立ち上がることもできなければ、離れていくこともできない。
「枕と間違えたようです」
「どんな経緯で!?」
「しょぼかったもので……」
「悪かったなぁ、しょぼくてっ! っていうか右肩、さむ…………じゃない、ちょっ、ほばああァ!」
 そしてこの辺りでようやく、芭蕉はもうひとつの異常事態へと気を向けた。

「マーフィーくんまで枕にされてる、更に何じゃこりゃー!?」
 それこそちょうど枕のような大きさの、しかも布製であるところの、しかし芭蕉の大親友こと茶色い縫いぐるみ。これが河合曽良の頭部の真下へ挟まれ、普段以上にぐったりとひしゃげている。
「ああ。しょぼかったもので……」
「チクショウ、ダブル枕かよ! いいご身分だなー、もうぅ……」
 芭蕉にとっては既にわけの解らぬ現実であった。しかしともかく、友達が弟子の頭の下敷きにされているということだけは間違いない。取りあえず憤慨する。
「でもっ、両方とも本物の枕ではないんだよ?」
「どうでもいいと思いませんか。そんなことは」
 すると曽良はいかにも面倒くさげな物言いをして、寝転がったまま頭うしろへ腕など組みつつ、穏やかな様子で空の方角を向いた。
「曽良くんってば、そんな空なんか見て…………曽良くんなだけに」
「つまらないことを言わないでください。ソデを破りますよ」
「君、この前もう破ったじゃないか!」
 言い返すと、睨み上げてくる。芭蕉は反射的に震え上がった。
「まったく、やかましい……人が気持ちよく二度寝をしようとしているところに」
「いや、私だって気持ちよく寝ていたともさ! でも、右腕が重くって……」
 そうであるから行動を起こせば、このざまだ。着物は脱げかけたままである。

「そうですか。しかし今ではもう重たくないでしょうから、芭蕉さんも寝直したらどうです」
「したいけど! したいんだけど、右肩が露出してるから寒くて……っていうかポロリ直前?」
「気色の悪いことを言わないでください」
「君が生み出した状況なんだよッ、目を逸らさんといて……そらくんだけに。あっ、恥ずかしいからやっぱり逸らして、そらくんだけに! あとマーフィーくん、かえしっ……」
「はったおしますよ」

 曽良は視線を芭蕉へとやらぬまま、低い声色のみを放ってきた。
「ど、どっちが原因で……ジョーク? マーフィーくん?」
「両方です」
 即答である。
「そんなに寒いのなら、着直せばいいでしょう」
「それがムリなんですけど……曽良くん、君が乗っかってるから」
「では、土を掘って腕をさし入れるというのはどうですか」
「君がどくっていう選択肢がなぜ無いんだよ!」
 肩は未だに寒かった。その上に、友達の安否も気にかかる。
「ううっ、マーフィーくーん……曽良くんの、頭の重みで、ぐったりだ。かわいそう」
「元からぐったりとしていたでしょう」
 頭も体も、どかしてくれる気配はなかった。
 さりげない五、七、五にすら合いの手が入らない。
「だいたいご自分のソデと縫いぐるみと、どっちが大切なんですか」
「そりゃあ君、あれだ…………どっちも大切に決まってるだろが! このヤローッ」
「この縫いぐるみさえ返せば芭蕉さん的には、むしろ服などどうでもいいということですか」
「だっから、どっちも大切! なんだってばぁ!」


 曽良というのは普段からひとの話を聞かない、特に芭蕉に対しては聞く気も無いように思われる男であるが、どうにも今日は増々ひどい。どうしたわけか、と芭蕉は焦れる。



(あれ……)
 しかしながら、不意に気付いてしまった。

(ああ、そうか)
 問題はより単純なところにあったのだ。



「…………まったく。時々、ほんとに子供みたいな弟子め……」

 彼はもう既にまた、うとうとし始めている。いや、半ば寝惚けているのだ、これは。
 そもそも曽良は普段からひとに合わせることのない、特に芭蕉に対しては、合わせる気も無いように思われる。そのような男であるから。
 こうなったらもう、対処のしようも無いではないか。

(私もまた、眠ろうか)
 右肩は露出したまま。ソデと縫いぐるみとは、未だに彼の下である。周囲からはさぞかし、異様な光景として見られるものであろうが。
 いや、もうとっくに、異様な光景であると思われているのかも知れないが。
(ああ……ごめんね、マーフィーくん。私もガマンするからっ……)
 弟子の鮮やかな黒髪のもと、枕にされたままでいる友達へ、内心から声をかけて励ます。むき出しの肩には相変わらずそよそよと柔らかな風があたっていた。
(このままずっと、こうしていたら……何かの拍子に、全部脱げたりしないだろうな)
 そうなれば、きっと風邪をひく。さすがに勘弁してほしい、が。
(とにかくやっぱり、もう一度眠ろう。仕方がないよ)
 実際、ほかに何を出来るというわけでもないのだから。


「おやすみ。曽良くん」


 弟子である曽良は空を向き、やはりもう既に眠りへと入りはじめている。
 腕のさし入れ直しはともかく、せめて少しでも布地を引き寄せるためには、もう幾らか近寄って寝転ばなければならなかった。むき出しにされた右肩が、彼の着物越しの体温を感じ受けるほどに。

 触れ合うほどに身を寄せても、微睡む曽良は何ひとつ文句をこぼさなかった。
 そして芭蕉も両の瞼を閉じる。






 一方の曽良は実にぼんやりとしながら、このように考えていた。
(このままずっと、こうしていたら……何かの拍子に、全部脱げるんじゃないだろうか)
 すると晒されるものはおっさんの裸体だ。くだらない。が、面白いかも知れないと。
 そのような意識を、来たる本格的な眠気が呑み込んでいく。彼の涙のにおいが染みついた綿の塊と、袖とを枕にして、悪くもない夢の中へと沈むのだ。

 曽良のための子守唄は、すぐ左の方から聞こえてくる芭蕉のくしゃみであった。













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