自由でいるという生き方は、難しいものだ。これまでに考えてきたよりかも、ずっと。
と、曽良は思った。思っていた。
「曽良くんは、いいよね。自由でさ」
「そうでしょうか」
だから、師の無責任で無神経な言葉が腹立たしかった。なにせ彼は、曽良という人間の生き様が自由ではないという現実と、決して無関係ではなかった。
少なくとも曽良自身にとっては。
「芭蕉さんこそ、いいですね。見るからに自由で」
「そうでもないよ」
「好き放題でしょう」
「……君がさせないくせに」
「するくせに」
自由でいるという生き方は、難しいものだ。これまでに考えてきたよりかも、ずっと。
と、芭蕉は思った。思っていた。
もっとも自由であるということは、考えようによってはひとつの苦痛でもあるのだ。
だから、これで良いのかもしれない。芭蕉の生き様はしあわせなものであるのかもしれない。好き放題に手綱をにぎってくる曽良がいるものだから、芭蕉という人間は決して自由ではない。孤独でもない。心臓の鼓動のようにしてやってくる苦痛は、しかし永遠ではない。苦痛ばかりでも、ない。
曽良がここにいるものだから。
(……だなんて。絶対に思ってやるもんか)
「芭蕉さん」
「なんだよ」
「念のために言っておきますが、『させない』のはいつだって芭蕉さんの方なんですよ」
「そんなわけないよ」
「なかったんですか。自覚」
「曽良くんこそ。自覚はないの?」
「芭蕉さんには、そんなことを問う資格がありません」
(……おかげだとか。絶対に思ってやるもんか、ムカつくんだから!)
自由でいるという生き方は、難しいものだ。けれども自由になるだけ、それだけのことであれば、容易いのかもしれないとふたりは思う。思っている。
両手を放して離れてしまって、あとは意識から追い出してしまえば、きっといつでも自由になれる。きっと容易いのに違いない。
「曽良くん。お昼におにぎり食べたい」
「僕は食欲がありません。素麺でも出す店を探してください」
「おにぎり! おにぎりが出ない店だけは受け付けんぞっ」
「芭蕉さんが探してくださいね」
「曽良くんが探してよ。君、弟子だろ?」
「僕にはもう、今や本当に素麺しか見えない……予定なので」
「そんな言い訳あるかぁ!」
自由でいるという生き方は、難しいものだ。けれども自由になること、それそのものは容易いのかもしれない。もしかすれば。
本当に容易いのかどうか、ふたりは知らなかった。
ただ、手放すことなど容易いのだ、というふりをしている。
実際のところは解らない。本当に手放してしまったことも、欠片も残さず追い出してしまったことも、思い返してみれば未だになかった。道を違えようと決めたこともあったが、決めたはずであったというのに結局は元に戻ってきてしまった。
おとなげもなく腹を立て、相手の主張を跳ね返し、それでもふたりは互いを自由にしないのだ。
自由でいるという生き方は、難しいものだ。
しかし幸いなことに彼らは不自由であった。そして、不幸ではなかった。