フレンチバニラのアイスクリームが外気にやられてとろとろと溶けていく。
 芭蕉はそんなカップの中身を、ほんのひとつだけ掻き混ぜた。表面がなめらかな液体へ変わり始めていようとも、内側はまだまだひんやりと硬い。プラスチックのスプーンを摘む右手に心地のよい感触を残してくれた。
 そのまま、ひと匙分おおきめにすくい上げる。
 すると力強い陽射しを受けて、バニラの表面がきらきら光る。ゴツゴツとした形のかたまりだった。ブラウニーとチョコレートファッジとチョコレートクッキーとレインボースプリンクルがまとめてぶち込まれているのだから、不格好になってしまうのはもう仕方がない。


「……ンむぁーい」
 あまい、と言いたいのか、それともうまい、と言いたいのか、よく解らない一声をあげて芭蕉は実にしあわせそうな顔をした。スプーンごと咥えたままでもごもごやっている。
「つめたぁい」
「行儀が悪い」
 ところが本当に冷たい評価も聞こえてきてしまって、緩んでいた頬をむっと引き締める。
「気にすることないじゃないか。こんくらい」
「いい歳をしたおっさんに似合う仕草ではありませんね」
「……大好きなものに夢中になったら、誰だってこうなるんだから。いいんだよ」
 言い訳と照れ隠しとを同時にやりながら芭蕉は、アイスクリームのちいさなカップを、今度はざっくり掻き混ぜはじめた。
「曽良くんだって、食べはじめたらこうなるよ」
「なりません」
「っていうか食べないの? 曽良くんも買うんだと思ってたのに」
「僕はいいです」
「甘いもの、好きじゃなかったっけ」
 そのアイスクリームの、甘ったるくないはずもなかった。
 特に芭蕉のメニュー選びときたらとんでもない。ただでさえ甘いアイスクリームを方々からチョコレートまみれにして、砂糖菓子までふりかけるのだ。
「ベタついたのは苦手なんです」
「ふーん。美味しいのに」
「見てるだけでも胸焼けがしてきます」
「結構イケるよ、これ。おいしいよ」
「胸焼けがしてきます。芭蕉さんのせいで」
 曽良は視線を逸らした。
「ゆーと思った」
 芭蕉の方は眉をしかめて、表情を幼く拗ねさせる。それなりの年かさであるというのに、相応に厳つい様子がどうにも見当たらない男であった。
「曽良くんなんかキライだっ。もー分けてやらんもんね」
 けれども曽良には、意に介した様子など欠片ほども見当たらない。
「ひとつも期待してません」
「しろよー、ちょっとは」
「あまりにも甘ったるそうなので」
 視線はアイスクリームの方へと下がって、じんわりとそれを見つめる。

 街中の炎天下に溶かされながら、もう半分ほどに減ってしまっているフレンチバニラ。ブラウニー、チョコレートファッジ、チョコレートクッキーのマーブル模様に、あまりにもカラフルなレインボースプリンクル。
 やや目に痛い色彩だった。そのくせひどく鮮やかで、毒々しくて、麻薬的だ。


「あとで、芭蕉さんからいただきます。ひと口だけ」
 曽良が立ち止まり、やや低い芭蕉の目線を真っ直ぐに見つめた。カップを支える左手の方には視線が向かわない。曽良の双眸は、その薄クリーム色の甘ったるさが吸い込まれていった、芭蕉の唇をとらえている。
 先に足をとどめた曽良につられて、芭蕉もまた進むことをやめた。それからようやく、曽良の向けてくる気配に感づいた様だった。
「……ほんの、ひと口? あとで、好いの」
 逡巡らしき間の次に、先ほどまでの自信の失われてしまった、ささやかな掠れ声が漏れる。
 熱気がふたりを包んでいた。足下では、明るいグレーをしたアスファルトがちりちりと焼けている。いくつもの人影が、佇んでいる芭蕉と曽良とをかるく避けながら流れていく。

「あとじゃない方がいいんですか」
「きみは……?」
 その声は未だに掠れ、どこか戸惑いがちであるものの、しかし外気とはまた異なった浮ついた微熱を孕んでいた。
「芭蕉さんは、どっちがいいんですか」
 めずらしく芭蕉の言うことを遮り、曽良が問いかける。
 穏やかなくせに容赦のない。アイスクリームへ差し込まれていくスプーンにも似ていた。プラスチックがしなやかに浅く曲がって、それから。ゆっくりとすくい上げる。





「あとで、いいよ」
「あとでも?」
「……じゃあ。あとがいいよ」
「それなら、あとだって構いません。僕は」
 立ち止まったふたりの男と、ゆるやかに溶けていくカップ一杯分のアイスクリームの両脇を、人影の波は途切れずに挟み込む。あらゆる熱気に囲まれているから、なかなか動き出すことができない。



「今度こそ、胸焼けを起こすかもしれませんね」
 じわじわと熱されてうずまく、休日の街中だった。













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